Sunday, November 8, 2009

Thursday, November 5, 2009

Zero no Tsukaima


Zero no Tsukaima (ゼロの使い魔, Zero no Tsukaima?, lit. El Familiar de Cero) es una serie de novelas ligeras de fantasía y comedia escritas por Noboru Yamaguchi e ilustradas por Eiji Usatsuka.

La novela ha sido adaptada a una serie de anime por J.C.Staff en julio de 2006 y ese mismo año también se realizó una versión manga dibujada por Ana Mochizuki.[1] [2]

La primera temporada del anime tuvo un notable éxito en Japón, estrenándose una segunda temporada en julio de 2007 llamada Futatsuki no Kishi (双月の騎士, 'Futatsuki no Kishi'?)[3] y una tercera, Princesses no Rondo (ゼロの使い魔 ~三美姫(プリンセッセ)の輪舞(ロンド)~, ~Sanbiki (Purinsesse) no Rinbu (Rondo)~?) estrenada el pasado 6 de julio de 2008.[4] La primera temporada de la serie fue licenciada en los Estados Unidos por Geneon Entertainment. En Diciembre del 2008 saco un Ova que es mas un capitulo extra de genero Ecchi. Cabe decir que utiliza nombres de personajes históricos de la historia de Francia y sacados de la novela "El vizconde de Bragelonne", de Alejandro Dumas, el autor de Los tres mosqueteros.

Tuesday, September 15, 2009

關於安全停車幾點建議

關於安全停車幾點建議
我有個朋友,以前專門偷摩托車,現在洗手不干了,他說取走一台車,不用一分鐘,工具很簡單,一刀一錘一串鑰匙。
具體操作是:
1、用刀挑開電源線,報警器嘟一聲就沒了,
2、用錘子把U型鎖和碟剎解決掉
3、坐在車上若無其事的套
4、用力一扭,方向鎖就開了
但是,有幾種車他們不會動
1、鏈條上有掛鎖,這玩意,便宜但是他們沒學過,不專業,身上的工具都使不上勁,所以會放棄。
2、好的U型鎖,就是用錘子敲不開的那種好一點,呵呵,買鎖時,可以向老闆問清楚,敲的開的一律不要
3、有人看守的,這個他們避而遠之
4、雙向報警器
5、暗鎖,他們不會花半天時間去找那玩意的,風險太大

Wednesday, June 10, 2009

プランク

 ある金属(原子)を高温の炎の中で熱すると独特の色をした光を出していることが知られていました。
 その 光の波長毎(分光)の強さを観測するとある幾つかの波長のところだけに強い輝きがあって、その他では光の輝きが無いことがわかっていました。プリズムに光を通すとその光が虹のように広がり(波長毎に光が分かれる現象を分光といいます)ます。その光の波長を帯状にした中で ある波長のところだけが縦線になって輝くことを光のスペクトル線とい、それぞれの原子に特有のパターンがあることがわかっています。
 また、太陽の光を調べると、ある特定の波長のみが輝きがない黒い線があることが知られていて、それはある光が吸収されて無くなったと考えられていて、それを吸収スペクトル線といいます。
 19世紀の終わりごろには、鉄の精錬が盛んになり、溶解した鉄の温度はその色を熟練工が目で確かめながらの作業で、その成果に大きなばらつきが伴いました。そこで、鉄の温度管理が重要な課題になって、光のスペクトルが研究されるようになっていました。
  そこで、ある温度の物体がどのような光を出すかが問題で、それらの代表として黒体(すべての光を吸収する物体(真っ黒な物体))を炉内で加熱し、炉に開け小さな穴から出てくる光の強さを炉内温度と光の波長毎に観測したものが、黒体放射(Black body radiation)ですが、その特性はそれまでの知識では解釈できない現象を含んでいました。
 現実には黒体は存在しませんので、外部から光が入らない空洞内部を高温に加熱しそこで発生する光が反射を繰返す場合には黒体に近い特性を持っことが知られていて、その光を小さな穴から取り出して分光器で光の波長毎の強さを観測しました。


 この観測結果を古典的な理論(Rayleigh-Jeans Law)等では表現ができませんでしたが、これを数学的に表現したのがプランク(Max Planck)の放射方程式(Planck Radiation Formula1900年)です。

プランク定数 
  この式に使用されているプランク定数(Planck's constant)の物理的な解釈は当初理解されていませんでした。後にナトリュウム原子に光を当てるとそこから電子が放出される光電効果の実験で、放出される電子の持っているエネルギーとその電子の振動周波数を測定したところ周波数と電子のエネルギーには比例関係があり、その比例定数が求められました。


プランクの量子仮説(Planck Hypothesis)
 上記の実験から光のエネルギーはプランク定数と周波数の積でありとする考え方(プランクの量子仮説)が出てきて、個のプランク定数が最小のエネルギーの 塊(これよりも小さく分割することができないエネルギーの最小値)と考えられ、これがエネルギーの量子と呼ばれるようになり、量子論のスタート地点となり ました。
  エネルギーの他にもいろいろな物理量が最小の塊(このような状態を量子化されているといいます)から成り立っていることがわかってきました。例えば、電荷には素電荷と呼ばれる電子1個が持っている電荷の最小値があります。
 このようにして、宇宙の始まりや物質の本質を解き明かす量子力学の歩みが始まりました。

プランク

 ある金属(原子)を高温の炎の中で熱すると独特の色をした光を出していることが知られていました。
 その 光の波長毎(分光)の強さを観測するとある幾つかの波長のところだけに強い輝きがあって、その他では光の輝きが無いことがわかっていました。プリズムに光を通すとその光が虹のように広がり(波長毎に光が分かれる現象を分光といいます)ます。その光の波長を帯状にした中で ある波長のところだけが縦線になって輝くことを光のスペクトル線とい、それぞれの原子に特有のパターンがあることがわかっています。
 また、太陽の光を調べると、ある特定の波長のみが輝きがない黒い線があることが知られていて、それはある光が吸収されて無くなったと考えられていて、それを吸収スペクトル線といいます。
 19世紀の終わりごろには、鉄の精錬が盛んになり、溶解した鉄の温度はその色を熟練工が目で確かめながらの作業で、その成果に大きなばらつきが伴いました。そこで、鉄の温度管理が重要な課題になって、光のスペクトルが研究されるようになっていました。
  そこで、ある温度の物体がどのような光を出すかが問題で、それらの代表として黒体(すべての光を吸収する物体(真っ黒な物体))を炉内で加熱し、炉に開け小さな穴から出てくる光の強さを炉内温度と光の波長毎に観測したものが、黒体放射(Black body radiation)ですが、その特性はそれまでの知識では解釈できない現象を含んでいました。
 現実には黒体は存在しませんので、外部から光が入らない空洞内部を高温に加熱しそこで発生する光が反射を繰返す場合には黒体に近い特性を持っことが知られていて、その光を小さな穴から取り出して分光器で光の波長毎の強さを観測しました。


 この観測結果を古典的な理論(Rayleigh-Jeans Law)等では表現ができませんでしたが、これを数学的に表現したのがプランク(Max Planck)の放射方程式(Planck Radiation Formula1900年)です。

プランク定数 
  この式に使用されているプランク定数(Planck's constant)の物理的な解釈は当初理解されていませんでした。後にナトリュウム原子に光を当てるとそこから電子が放出される光電効果の実験で、放出される電子の持っているエネルギーとその電子の振動周波数を測定したところ周波数と電子のエネルギーには比例関係があり、その比例定数が求められました。


プランクの量子仮説(Planck Hypothesis)
 上記の実験から光のエネルギーはプランク定数と周波数の積でありとする考え方(プランクの量子仮説)が出てきて、個のプランク定数が最小のエネルギーの 塊(これよりも小さく分割することができないエネルギーの最小値)と考えられ、これがエネルギーの量子と呼ばれるようになり、量子論のスタート地点となり ました。
  エネルギーの他にもいろいろな物理量が最小の塊(このような状態を量子化されているといいます)から成り立っていることがわかってきました。例えば、電荷には素電荷と呼ばれる電子1個が持っている電荷の最小値があります。
 このようにして、宇宙の始まりや物質の本質を解き明かす量子力学の歩みが始まりました。

プランク

 ある金属(原子)を高温の炎の中で熱すると独特の色をした光を出していることが知られていました。
 その 光の波長毎(分光)の強さを観測するとある幾つかの波長のところだけに強い輝きがあって、その他では光の輝きが無いことがわかっていました。プリズムに光を通すとその光が虹のように広がり(波長毎に光が分かれる現象を分光といいます)ます。その光の波長を帯状にした中で ある波長のところだけが縦線になって輝くことを光のスペクトル線とい、それぞれの原子に特有のパターンがあることがわかっています。
 また、太陽の光を調べると、ある特定の波長のみが輝きがない黒い線があることが知られていて、それはある光が吸収されて無くなったと考えられていて、それを吸収スペクトル線といいます。
 19世紀の終わりごろには、鉄の精錬が盛んになり、溶解した鉄の温度はその色を熟練工が目で確かめながらの作業で、その成果に大きなばらつきが伴いました。そこで、鉄の温度管理が重要な課題になって、光のスペクトルが研究されるようになっていました。
  そこで、ある温度の物体がどのような光を出すかが問題で、それらの代表として黒体(すべての光を吸収する物体(真っ黒な物体))を炉内で加熱し、炉に開け小さな穴から出てくる光の強さを炉内温度と光の波長毎に観測したものが、黒体放射(Black body radiation)ですが、その特性はそれまでの知識では解釈できない現象を含んでいました。
 現実には黒体は存在しませんので、外部から光が入らない空洞内部を高温に加熱しそこで発生する光が反射を繰返す場合には黒体に近い特性を持っことが知られていて、その光を小さな穴から取り出して分光器で光の波長毎の強さを観測しました。


 この観測結果を古典的な理論(Rayleigh-Jeans Law)等では表現ができませんでしたが、これを数学的に表現したのがプランク(Max Planck)の放射方程式(Planck Radiation Formula1900年)です。

プランク定数 
  この式に使用されているプランク定数(Planck's constant)の物理的な解釈は当初理解されていませんでした。後にナトリュウム原子に光を当てるとそこから電子が放出される光電効果の実験で、放出される電子の持っているエネルギーとその電子の振動周波数を測定したところ周波数と電子のエネルギーには比例関係があり、その比例定数が求められました。


プランクの量子仮説(Planck Hypothesis)
 上記の実験から光のエネルギーはプランク定数と周波数の積でありとする考え方(プランクの量子仮説)が出てきて、個のプランク定数が最小のエネルギーの 塊(これよりも小さく分割することができないエネルギーの最小値)と考えられ、これがエネルギーの量子と呼ばれるようになり、量子論のスタート地点となり ました。
  エネルギーの他にもいろいろな物理量が最小の塊(このような状態を量子化されているといいます)から成り立っていることがわかってきました。例えば、電荷には素電荷と呼ばれる電子1個が持っている電荷の最小値があります。
 このようにして、宇宙の始まりや物質の本質を解き明かす量子力学の歩みが始まりました。

プランク

 ある金属(原子)を高温の炎の中で熱すると独特の色をした光を出していることが知られていました。
 その 光の波長毎(分光)の強さを観測するとある幾つかの波長のところだけに強い輝きがあって、その他では光の輝きが無いことがわかっていました。プリズムに光を通すとその光が虹のように広がり(波長毎に光が分かれる現象を分光といいます)ます。その光の波長を帯状にした中で ある波長のところだけが縦線になって輝くことを光のスペクトル線とい、それぞれの原子に特有のパターンがあることがわかっています。
 また、太陽の光を調べると、ある特定の波長のみが輝きがない黒い線があることが知られていて、それはある光が吸収されて無くなったと考えられていて、それを吸収スペクトル線といいます。
 19世紀の終わりごろには、鉄の精錬が盛んになり、溶解した鉄の温度はその色を熟練工が目で確かめながらの作業で、その成果に大きなばらつきが伴いました。そこで、鉄の温度管理が重要な課題になって、光のスペクトルが研究されるようになっていました。
  そこで、ある温度の物体がどのような光を出すかが問題で、それらの代表として黒体(すべての光を吸収する物体(真っ黒な物体))を炉内で加熱し、炉に開け小さな穴から出てくる光の強さを炉内温度と光の波長毎に観測したものが、黒体放射(Black body radiation)ですが、その特性はそれまでの知識では解釈できない現象を含んでいました。
 現実には黒体は存在しませんので、外部から光が入らない空洞内部を高温に加熱しそこで発生する光が反射を繰返す場合には黒体に近い特性を持っことが知られていて、その光を小さな穴から取り出して分光器で光の波長毎の強さを観測しました。


 この観測結果を古典的な理論(Rayleigh-Jeans Law)等では表現ができませんでしたが、これを数学的に表現したのがプランク(Max Planck)の放射方程式(Planck Radiation Formula1900年)です。

プランク定数 
  この式に使用されているプランク定数(Planck's constant)の物理的な解釈は当初理解されていませんでした。後にナトリュウム原子に光を当てるとそこから電子が放出される光電効果の実験で、放出される電子の持っているエネルギーとその電子の振動周波数を測定したところ周波数と電子のエネルギーには比例関係があり、その比例定数が求められました。


プランクの量子仮説(Planck Hypothesis)
 上記の実験から光のエネルギーはプランク定数と周波数の積でありとする考え方(プランクの量子仮説)が出てきて、個のプランク定数が最小のエネルギーの 塊(これよりも小さく分割することができないエネルギーの最小値)と考えられ、これがエネルギーの量子と呼ばれるようになり、量子論のスタート地点となり ました。
  エネルギーの他にもいろいろな物理量が最小の塊(このような状態を量子化されているといいます)から成り立っていることがわかってきました。例えば、電荷には素電荷と呼ばれる電子1個が持っている電荷の最小値があります。
 このようにして、宇宙の始まりや物質の本質を解き明かす量子力学の歩みが始まりました。

Monday, May 11, 2009

メルボルンの

メルボルンの流血戦(メルボルンのりゅうけつせん、"Blood In The Water" match)は、1956年のメルボルンオリンピックでハンガリーとソ連のあいだで行われた、おそらく水球史上最も有名な試合である。試合はハンガリー動乱直後の緊迫した空気の中で行われ、4対0でハンガリーが勝利した。「流血」とは、プールから上がってきたハンガリーの選手エルヴィン・ザドルが、乱闘の結果、右目の下を切って流血したことにちなむ。

オリンピックのディフェンディングチャンピオンであった水球のハンガリー代表チームは、ハンガリー動乱が始まった時、ブダペストの山上にあるトレーニングキャンプにおり、銃声を聞くことも、煙が立ち上るのを見ることもできた。メルボルンオリンピックの開催まで2ヶ月を切っており、動乱に巻き込まれることを避けるため、かれらはチェコスロバキア国境へと速やかに移動させられた。オーストラリアに着くと選手たちは動乱の本当の規模を知ることができた。家族や友人の知らせのないことが気がかりだった。

オリンピックの開会までには、動乱に対するソ連軍の対応は激しく容赦のないものであり、多くの犠牲者が出ていることが伝えられた。ハンガリー選手の多くはオリンピックをハンガリーの誇りを守る手段の一つとみなすようになった。「私たちは自分たちのためだけに試合をするのではなく、ハンガリー全体のために試合をするのだと感じていた」と試合後にザドルは言った。この時にはハンガリー動乱におけるソ連の蛮行に国際社会は気付いており、オリンピックのどの試合でもハンガリー代表は応援された。「流血戦」は海外在住のハンガリー人も交えた熱心な群衆の前で行われた。かれらの多くはラズロ・パップの三つ目の金メダルを観るためにボクシング競技場に集まっていた人たちだった。

12月6日に行われた試合はその始まりからパンチやキックが飛び交う乱暴なものになった。ハンガリー代表のスター選手ザドルは、群集の応援を背に2得点を挙げた。4対0で迎えた最後の数分間に、ザドルはソ連のバレンティン・プロコポフのパンチによってプールを去ることを強いられた。ザドルの怪我が、すでに熱狂していた群集の我慢の限界を超えさせた。怒った観客による暴動を避けるため、試合は終了まで1分を残して中止された。警官隊が競技場に入り、群集を選手から引き離した。怪我をしたザドルの写真は世界中の新聞に掲載されたが、「プールの水が赤く染まった」という報道はおそらく誇張であろう。

ハンガリー代表は決勝でユーゴスラビアを2対1で破り、水球で4つ目の金メダルを得た。オリンピックの後、ハンガリー選手団100人のうち、45人が西側諸国に亡命をした。ハンガリー動乱から50年を記念して、2006年にはこの流血戦について語られるドキュメント映画、『Freedom's Fury』が公開された。ナレーターのマーク・スピッツは、少年時代にザドルに指導されていた。

Tuesday, April 28, 2009

レイブファッション

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Sunday, April 12, 2009

ヘラクレイトスの火

高校の生物最後の授業で配られたプリントはこの「ヘラクレイトスの火」の一節「白き血、紅き雪」であった。ワトソン、クリックのようにノーベル賞を取るよ りも、つまり世間的な名誉よりも、むしろこのシャルガフのような文章が書ける人間になって欲しい、と先生が話していた。ノーベル賞なんか取れないし、こん な難解な文章なんて書けるわけもない、と笑い声が上がった。

その後分子生物学を学ぶようになって塩基対合の規則を発見したシャルガフ、そしてDNA二重らせんを発見したワトソン、クリックが分子生物学の中でどんな位置を占めたのかを少しは知るようになってから「ヘラクレイトスの火」全文を読んた。

決 して一朝一夕には身に付けることのできない語学に裏打ちされた教養に畏敬の念を覚える他なかった。そしてまた、高校生のときに読んだ「白き血、紅い雪」で も触れられているように、最早「自然についてよりよく知りたいから」と、「科学」本来の目的であった「知ること」のために科学を志すことはできないのだと 改めて実感した。

生命科学は今金儲けの手段に利用されているように感じる。科学は技術と最早不可分に結びついており、人間の福利厚生のために役立つのならそれにこしたことはないと思うが、幾分いそぎすぎているのではないだろうか。多くの人に読んでほしい本だ。

Tuesday, March 31, 2009

広島館









先日お昼時に新宿で乗り換えたとき、
急にお好み焼きが食べたくなって、
広島風お好み焼きが食べられる南口の広島館に行き、
久々のお好み焼きを頬張りました♪

昨年胃潰瘍をやってから脂っこいものは極力食べずにきました。
また、食欲もなく、食べたいとも思いませんでした。
治療に1年。折角痩せたのに体重が戻って焦ってはいますが
ピロリ菌の駆除も昨年終わり
やっと胃腸も正常に戻りつつあるのだと、ホッとしています。

今日、南口といったら東国原知事の宮崎館かドーナッツでしょう。
ですが、私にしてみると、(宮崎館の隣の)広島館
です!
かつて勤めた会社の本社広島で初めて口にした
麺とキャベツを先に炒め、最後に皮を乗せ
トッピングする広島風お好み焼きは、
東京風お好み焼きしか知らなかった私には驚きでした!
そのボリュームと濃厚なおたふくソースにはまってしまい
広島風お好み焼きのファンになりました!
ちょっとジャンクフードですが、
時々むしょうに食べたくなります。

写真はケータイで撮ったお好み焼きセットです。

Wednesday, March 25, 2009

矢島楫子

矢島楫子
女性教育者の竹崎順子は姉、徳富蘇峰(6-1-8-13)と蘆花は甥。結婚10年で離婚、1872(M5)上京し教員伝習所に学ぶ。小学校教員をへて新栄女学校教員、桜井女学校校長となる。キリスト教徒となり79受洗。 86レヴィット女史の来日に接して40数名で日本基督教婦人矯風会を創立。同年、東京婦人矯風会会長。 89新栄・桜井両女学校が合併して女子学院となり、院長に就任。 93日本基督教婦人矯風会会頭として廃娼運動に奔走、万国矯風会大会や国際軍縮会議にも参加。晩年も1924(T13)婦人参政権獲得期成同盟会に加盟、生涯を女子教育・婦人運動に尽くした。

<コンサイス日本人名事典>

*墓石にそなまま刻まれている碑文の撰書は徳富正敬と刻まれているが、これは蘇峰の字(あざな)である。

Friday, March 13, 2009

笑蜀:大学债务凭什么让全社会承担

读了北大校长周其凤关于大学债务应该全社会承担的言论,哭笑不得。

周校长很自信,以致到了气壮如牛的地步,宣称讲到天上去他都不怕。但我琢磨了半天,发现他可以夸口的除了敢出来吵架这个形式本身而外,整个内容其实是千疮百孔,根本经不起推敲。真搞不懂他那么自信的底气在哪里。

不信?我这就退三万步跟周校长推敲推敲。

第一个退一万步,我姑且接受周校长的逻辑起点,大学数千亿债务,真的是为全社会举的,但是请 问周校长,这账单啥时候给咱纳税人看过?企业的账单咱纳税人可以不看,政府的账单可能涉及国家秘密的部分咱也可以不看,靠纳税人供养的公立大学的账单,有 啥理由不给纳税人看?看都不让看你就敢让全社会买单,天底下有这么牛的债务人吗?

第二个退一万步,姑且宜粗不宜细,我先全盘接受这账单的合理性,但是钱花出去了,你产品的品 质到底如何,经过了纳税人的公开评议吗?得到了纳税人的认可吗?你敢肯定你的产品不存在货不对板的问题吗?其实也用不着什么公开评议,现在大学毕业生的质 量,全社会有目共睹。尽管每年毕业大学生数百万,但并没有提升国家的整体创新能力,丝毫无助于中国的产业转型,以至于中国在全球产业链中不能不长期处于低 端位置,难道还不能证明中国高等教育的失败?甚至早在金融危机袭来之前,已经每年百万大学生毕业即失业。就这个角度而言,大学的功能,似乎主要就是一个文 凭批发功能而已,大学对人才成长并无多大实质性贡献。这德性也好意思要全社会买单,天底下有这么牛的债务人吗?

第三个退一万步,就算产品质量问题咱也都包涵了,根本不跟周校长计较了。但是,你欠债我还 钱,那么借多少和怎么借怎么还,你是不是该事先跟咱嘀咕一声?你要动用咱的财产,怎么着也得先打个招呼吧?闷着不吭声,放开了胆子猛着借猛着花,等花完了 快破产了,人家讨债讨上门了,这时候才随便拉出一个根本不知情的冤大头,说那天文数字般的债务都用到你身上了,到底怎么用的你甭管,反正你赶紧统统买单 吧!把纳税人的腰包当自己的想咋掏咋掏,天底下有这么牛的债务人吗?

固然,政府对教育的总投入确实不足。但纵使是发达国家,也没听说大学费用都是政府包办,无限 供给。政府投入跟大学需求之间,总是有缺口的。有了缺口怎么办?那你就凭你的品质,凭你给社会提供的实实在在的服务,去社会上化缘,去跟其他社会公益机构 竞争公益资源啰。政府再怎么欠你的钱,也不构成你拿纳税人开涮,你为刀俎我为鱼肉的理由啊。纳税人凭什么总当冤大头?孩子上小学开始他们就从牙缝里掏食, 为教育部门默默奉献。孩子上大学也根本不像周校长宣称的那样无偿,否则不会大学里农村寒门子弟越来越少。现在大学在大师越来越匮乏的同时,天文数字般的借 债都用到排场的攀比上,以致校园奢华程度往往超过发达国家的水平,上海某校区区一个校庆都可以耗费一个多亿,还敢说大学缺钱到了人体解剖改用小白鼠的地 步?

周校长的意见不是不能讲,但应该有起码的逻辑,我三万步都退完了,还找不出周校长稍稍站得住脚的逻辑在哪里,周校长给我的总印象,就剩下一个狠字——没账可看,也没产品质量可评,反正没程序可言,要你给我买单你就得买。

也不是不能这么狠。但怎么着大学校长都不该这么狠。大学校长是什么?大学是一个民族的精神堡 垒,大学校长则是这个堡垒的司令官,负有捍卫一个民族的伦理底线的特别使命。这就注定了大学校长应该首先是精神贵族。宰你没商量,这肯定不该是大学校长做 的事。该是什么人做的事,不必说就谁都知道了。